昨日みた夢の話

 白茶けた視界。私は寂れた温泉街の半ば廃墟のような巨きなホテルのロビーにいる。ロビーといってもむやみに広い長方形の空間に3脚ほど丸い椅子が作りつけてあるだけで、フロントがある訳でもなく、私の他には全くひと気がない。奥まったところにエレベーターが2基、3階を表示してとまっている(渓谷に沿ってつくられた温泉街特有の構造で、3階にフロントがあるつくりになっているようだった)。旅装の私は椅子に腰掛け、なにかを待っているような風情でいる。空調の振動音が低く響いている。やけに無機質なロビーの風景は俯いて座っている私を疎外し続けているようだった。やがてエレベーターが静かに動き出した。エレベーターは一度地階に降り、また上昇して3階でとまった。扉が開く。見ると、降りてきたのは太った中年の看護婦だった。ナース服を着ているから一目で看護婦であることは分かるが、私が即座にその女が看護婦であると悟ったのは彼女に見覚えがあったからだ。女は私が中学まで通っていた耳鼻科の婦長だった。私は中学のときに手術をうけるまで長く耳を患っていた。女は私がもっとも嫌っていた看護婦だった。看護婦がかかとを高く鳴らして私のほうに近づいてくる。逃げようともがくが腕は虚しく空をきるだけで、私はもう腰から下が丸椅子と同化してしまったかのようである。看護婦は私を無理やりに押さえつけると、ポケットから点耳薬を取り出し、私の左耳にたらした。そして私の頭を両手で乱暴にゆすると、私の左耳にその太い人差し指でガーゼをぐいぐいと押し込んだ。どうにかして看護婦から逃れようとするが、何故か体はぐんなりと脱力しており、半狂乱になって叫ぼうにも、一言も発することが出来ない。

後ろ向きに歩く

 過去へと下ることでみずからを現代の風景のなかに叩き出し、四方八方さらには自分自身にさえも否!を突き付けることだ。その途上にあって、私はもっといろいろを識らなければならない。自分自身をどこまで追いつめられるかというかけひき。

 「貴様らは人間の滓だ。社会の恥だ。だが、永遠に人間の滓であり社会の恥でありつづけたくないなら、いま、踏みとどまれ!……惨めな日傭たちよ。なぜ自分の舌を嚙みきらないか、なぜ舌を嚙みきるつもりで立ちあがらないのか……」(高橋和巳『憂鬱なる党派』)

パノラマ・パラノイア

暗室
白黒写真が宙吊りに揺らめいている
マッチを擦り火をつける
燃えない
もう一度火をつける
燃えない
宙吊りされているのは私であって
セルフ・ポートレイトのなかの私が
揺れているのだった
始めからなにもかもが失われていた

パノラマ→切り取られた遠景のなかに果してわたしの姿が在ったことがたった一度、たった一度でもあっただろうか、年号・昭和、手当たり次第に標本箱を壊してゆく、くだけたガラスで血塗れのぎとぎとと糸ひく妄執なのだ、釘付けにされた昆虫群、或いはおのれの手足、埃に埋もれた思想のページを繰る、繰る、窓!叫びを上げ乍ら拳を振り上げ、窓!おお、見れば腕など無く、窓!光を反射するのみ、或いは出されなかった手紙、或いは不通の電話回線、或いは泥をすする、或いはいまここに在る、或いは一瞬間のナイフのきらめき、或いは塩化ビニル、或いは嘔吐、そして、そして、そして、