昨日みた夢の話*或いは創作メモ*或いは青白き夢にて葬る

 青白き夢、とは即ち"青白きインテリ"のことでもあるのですが。そんなことはさておき。

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 私の出身の小学校の屋上で知らないバンドが演奏している。ヒカシュー頭脳警察の曲を演っていた。校舎と校舎の間にある狭い中庭には学生たち(大学生くらいの年齢に見えた)が押し寄せ、口々になにか(造反とか粉砕とか革命とかそういったニュアンスの言葉を)喚き散らしながら拳を上げている。「呪詛」という言葉も聞き取れた(私の好きな言葉だ)。一階の校舎の窓はことごとく割られ、鮮血がガラスの一枚一枚を濡らしていた。怒号渦巻く中庭の隅の方で数人の教師たちがくずおれ、悲嘆の表情を浮かべている。学生たちは教師たちには見向きもせず、殆ど校舎中を破壊しつくそうとしている。

 場面は変わって校舎の中。私と中年の男の姿。私と男は遠くに学生たちの叫び声を聞きながら灰青の階段を駆け上がっている。「そろそろ始業だ」男が言う。「早く脱出しよう」チャイムが鳴った。「まずいことになった。われわれはもう少し早く行動すべきだった!」時間が無い。怒号はもはや聞かれず、階下から小学生たちの嬌声が響いている。私たちは一先ず屋上に逃れることにした。階段を上る。程なくして屋上の手前の踊り場に辿りつき、一息ついた。安心して屋上へと続く扉の前に腰を下ろした瞬間、数人の小学生の声が響いた。女子児童が3人ほど、階段を上がってくる。私たちは息をひそめ、女の子たちが踊り場にさしかかったところで飛び出すと、躊躇せず次つぎに腹を蹴って突き落とした。女の子たちは顔を歪め、泣き出す間も無く転げ落ちて頭を打ち、絶命した。やわらかいパステルカラーの衣服と日に焼けた腕や足の対比がやけに生々しく、眩暈と吐き気を覚えた。「早く行こう、」男の声で我にかえる。ふと階段下を見遣ると、一人の女の子がこちらに上がってくるのが見えた。女の子は足もとの死体に気付くと「あ、」と小さく声を上げ、私たちを見上げた。「せんせいに言いつけてやる!」と叫ぶと走り出し、見えなくなってしまった。私と男は顔を見合わせ、一気に屋上へ出、反対側の階段室へ走った。眼下の中庭に人気はなく、窓ガラスや校舎のあちこちが真っ赤な血に染め上げられているだけだった。対面する屋上にももはや人気はない。始業を前にみな逃げ出してしまったらしかった。
 背にした階段室を駆け上がってくる足音が聞こえる。怒声。「きみたち、止まりなさい!止まらないか!」目前にした階段室からも大勢の足音が聞こえ、私たちはもはや逃げ場のないことを悟った。サイレン………

 インタビュー記事の切り抜き。
「われわれは立ち遅れ、だが立ち上がらずにはいられなかった。そうではないですか。あなただって」
―というと?
「それだけのことです。わたしが言いたいのはそれだけだ」(2008.8.4)

ノイズ*私は行き詰まりたいのに

 私は行き詰まりたいのだと思う。
 行き詰まるとはどういうことか。無論、現代の"閉塞"とはまったく別の意味での「行き詰まり」である。現代の閉塞とは「開かれている」がゆえの状況であるからだ。つまり、我々を取り巻くものごとが或る地点にまで到達し、成熟し、溢れかえるという一見自由な状態が、我々を疲弊させ、息苦しくさせているということである。
 私のいう行き詰まりとは、現代のそれとは正反対の、不足ゆえに研ぎ澄まされ、未成熟ゆえに興隆し、不自由ゆえに爆発するという、そういったものの原動力としての苦しさである。「あかるい未来」を期待する余白をもった窒息感である。
 私は出口が"ありそう"な迷路に迷い込みたい。「壁があるぞ!」と叫ぶ意味を見出せないほどに"壁だらけ"のいまからどうにかして脱出したい。

 ああ、私は行き詰まりたいのに。

"わたしの"時代−6、70年代考

 私は昭和が終った翌年、1990年に生まれた。平凡な家庭に育ち、これといった大きな問題を抱えることもなかった。しかし、私は本格的に文学というものに目覚めた頃から、いま生きている時代に妙な違和を感じるようになったのである。様々な思想や言説に触れ、時代を遡るようにして本を読み漁るようになると、その想いはますます増大した。恐らくこれからも自分の生きる時代に対するその妙な心地は膨らんでいくのだろう。それは私が自分が生まれてもいない時代(とりわけ6、70年代)に自己を見出してしまったからであり、そこに自我形成の源流のようなものを感じてしまったからだ。
 しかし私は同時にそれが或る種の「意識のすりかえ」に過ぎないことを自覚している。「追体験」というが、私がいくら6、70年代に親しみを感じようと、時代特有の身体感覚を身に付けることなど出来はしないのである。私は確かに黄ばんだ本の中でやっと呼吸出来るような妄想を抱くことがあるが、それは「いまを生きるわたし」があってのものであり、畢竟自己を生きてもいなかった文脈のなかに置くことなど出来はしない。