"わたしの"時代−6、70年代考

 私は昭和が終った翌年、1990年に生まれた。平凡な家庭に育ち、これといった大きな問題を抱えることもなかった。しかし、私は本格的に文学というものに目覚めた頃から、いま生きている時代に妙な違和を感じるようになったのである。様々な思想や言説に触れ、時代を遡るようにして本を読み漁るようになると、その想いはますます増大した。恐らくこれからも自分の生きる時代に対するその妙な心地は膨らんでいくのだろう。それは私が自分が生まれてもいない時代(とりわけ6、70年代)に自己を見出してしまったからであり、そこに自我形成の源流のようなものを感じてしまったからだ。
 しかし私は同時にそれが或る種の「意識のすりかえ」に過ぎないことを自覚している。「追体験」というが、私がいくら6、70年代に親しみを感じようと、時代特有の身体感覚を身に付けることなど出来はしないのである。私は確かに黄ばんだ本の中でやっと呼吸出来るような妄想を抱くことがあるが、それは「いまを生きるわたし」があってのものであり、畢竟自己を生きてもいなかった文脈のなかに置くことなど出来はしない。