ノイズ*私は行き詰まりたいのに

 私は行き詰まりたいのだと思う。
 行き詰まるとはどういうことか。無論、現代の"閉塞"とはまったく別の意味での「行き詰まり」である。現代の閉塞とは「開かれている」がゆえの状況であるからだ。つまり、我々を取り巻くものごとが或る地点にまで到達し、成熟し、溢れかえるという一見自由な状態が、我々を疲弊させ、息苦しくさせているということである。
 私のいう行き詰まりとは、現代のそれとは正反対の、不足ゆえに研ぎ澄まされ、未成熟ゆえに興隆し、不自由ゆえに爆発するという、そういったものの原動力としての苦しさである。「あかるい未来」を期待する余白をもった窒息感である。
 私は出口が"ありそう"な迷路に迷い込みたい。「壁があるぞ!」と叫ぶ意味を見出せないほどに"壁だらけ"のいまからどうにかして脱出したい。

 ああ、私は行き詰まりたいのに。